2004年11月 翻訳 by エリック・チェッター

ブランコ出身の軍人が愛国心を見せた

This article translated from the San Antonio Express News, “Blanco soldier is remembered for his devotion”

 

陸軍サージェント、ジョン・バイロン・トロッターの家族・国への愛がいっぱいの人生が2004年11月14日の日曜日にほめたたえられた。

軍隊では「ジョン」、家では「バイロン」と呼ばれていたトロッターは、イラクのラマディでパトロール中、小型武器で殺された。

日曜日の葬式はコーナーストーン・チャーチという教会で行われ、200人ものの人が90分間トロッターの人生の思い出やテロへの強い意志を語った。

父親と兄弟六人と赤ん坊の子供を残していったトロッターは2001年9月11日の朝ミーティングのためにペンタゴンの襲われた場所に行くことになっていたが、ミーティング場が変わったため、飛行機がペンタゴンにぶつかったときには一マイルくらい離れたところにいた。

その直後、彼は仲間の死体を見つけ出すという恐ろしいことをした。その仕事こそが、癌で死に掛けていたお母さんのそばからトロッターを連れ出して、結局イラクまで行かせるのが確実だという陸軍のに再入隊するきっかけとなった。

「ひどく燃えた死体を次々とがれきから取り出すことが一生の傷になった」とお兄さんのフレッドが言った。トロッターは除隊してから一年あとに再入隊したため、「どこに行くのかを知って入隊した。正義が彼の目的であって9月11日になくなった仲間たちへの名誉を表したかった。」

トロッターは夏にイラクに行った。彼の死はファルージャへの侵入に伴った。

トロッターの愛国心が兄貴まで感動させてしまい、兄貴が入隊した。

「五歳上だが、彼のあとについていくのがよいと決めた」と夏に基礎訓練キャンプに行ったフレッドが海兵隊員の制服を着たまま葬式に出席した。

トロッターの弟であるリックが兄貴の好きな音楽がヘビメタからカントリーに変わったことを思い出して語った。

「これ。。何?って思った。軍隊は人生を変えるといわれていることは聞いたことあるのだが、これは異常じゃないかって思った」と立見席限定の出席者から笑いをとった。イラクに出発する前の出かけたときのことなどについてもリックが話した。

「空港まで送りにも行ったし」とリックが続け、「意味のある見送りができてうれしかった、最後の挨拶ができてうれしかった。」

賛美歌や愛国心を語る歌などの音を背景に出席者が思い出を語るように誘われた。アメリカはトロッターのようなヒーローがもっと必要だと、ある男がトロッター家の人に感謝したところ、総立ちの拍手喝さいが起こった。

今、トロッターが金の道を歩いているというのがトロッターの父であるクレイトンの感想である。

彼は正義を信じたし、勇ましかったし。。名誉というものを知っている人だった。いないのが不可思議だと感じるが、あの世でまた会えると約束されているんだ。今は母さんに抱かれている。」とお父さんが言った。

トロッターはアーリントン国立基地に埋葬される。

教会ではトロッターの人生を語った数多くポスターが貼ってあり、トロッターのボーイ・スカウトからハロウィーンのスーパーマン衣装というさまざまな制服姿を見せてくれた。

「彼は制服ならなんでも好きだった。理由もなくスカウトの制服を着て学校に行ったりもしていた。スーパーマン衣装で寝ることもあった」とフレッドが語った。「ヒーローになりたかったのだろう。」

日曜日に、友達と家族がイラクで亡くなったあるヒーローの人生を思い出すため、教会の前にきたところ、みんな、引き伸ばしたトロッターの写真の前を通った。アメリカの旗の前の制服姿-今度は陸軍の野戦服であった。

 

***翻訳者のパーソナルノート***

僕もブランコ出身です。この人の弟のリック(友達がリッキーと呼んだのですが。。)は僕の高校時代の友人でした。このニュースをテレビで見て、ちょっと衝撃を受けました。残念ながら、日曜日に聞いたため、葬式にはいけなかったのです。こういう被害があるからこそ暴力ってお互いにやめるべきだと思います。暴力というものはどんな喧嘩も解決することができないし、ひとに罰を与えるだけなのです。この戦争で、もう一人の人がいなくなりました。