2004年11月 翻訳 by エリック・チェッター

新型大学が登場


オースティン市に1千2百人の学生がいて、1千4百人も入学待ち名簿に入力されている大学がある。

まだ、聞いていないのなら、数年待てば聞く可能性大。

「この20年間で、「学問のある人」の意味が変わってきたのである。」とテキサス大学の生涯教育部長のトム・ハットフィルドが言った。

「わしらは物事をとくと考えることができないという前提に、大きい声を出さないとわからないというイメージがあると思う。」と三次大学生のペッギー・スチュワートさんが語った。

「頭を使って生きてきたし、いまさら頭の動きを停止なんかさせない」と三次大学生ケント・スチュワートさんが言った。

「教養人にいたるまでにはまだまだ勉強が必要だと発見するのは20歳の人だけではない」とハットフィルド部長が言った。

それこそがこのテキサス大学内にある未著名大学のきっかけとなった。

「三次大学って何でしょうと聞かれるのだが」とハットフィルド部長が続け、「一次ステージというのは人生の最初であってキャリアが主だ。二次ステージとはキャリアそのもので、三次ステージは引退後の年々だ。つまり、「三次大学」とは私たちの造語であり、退職者向けのプログラムを示す言葉である。」

合計でスチュワート家のペッギーとケントのように参加しているのが1千2百人だ。

「子供であった。大人の責任を持って家族を育てた人間でもあった。そして、今は前より自分のしたいように時間をすごせばいいし、興味のあることを探究するとか面白そうだと思ったことをするいい機会になる」とペッギーさんがいった。

デジタル写真などのような活動を探究する機会だ。

「天文学でも、国際関係論でも、話題は単に三次大学の学生に応じるものである」とハットフィルド部長が言った。

「役に立つのです。本を読むだけよりは講義を聞いたり、問題を解いたりすると勉強になる」とケントさんが言った。

「一生涯、学ぶことを辞めるつもりはなかった」とペッギーさんが言った。

「いろいろ考えることが楽しい。問題を解けるのも。新たに物事を見るのが、考えを発見するのが。私の一部であるように感じる。それは絶対に放したくないと思う。」とケントさんが説明した。

「生涯学生というやつですかね」とペッギーさんが続けた。

三次大学は80年代に設立されていて、全国の公立大学でのパイオニアであるテキサス大学の生涯教育運動の一部である。

10月の九日はテキサス大学の生涯教育プログラムの95周年記念日だ。